震災で食べた一杯のラーメンが温かすぎた話
rarmen

【被災者体験談】一杯のラーメンが温かすぎて・・・

私は中学の時に、阪神淡路大震災に合いました。

家は全壊に近い状態でした。 本当にこんな事がおきるのでか?と思いながら、毎日余震が続く中、ずっと不安を抱えていました。

水も支給されなく、ガスも止められていました。 避難所では、はっきり言って生きた心地がしませんでした。

正直、私は今まで食べることにも苦労したことがありませんでした。 なので、自分が何も出来なくなってしまったことと、連絡がつかない親戚や友達の事がふと頭をよぎりました。 しかし自分たち家族が皆、無事だったことだけに、とにかく感謝でした。

本当に辛い経験をしました。

ある日のことです。 親戚の叔母ちゃんから「こっちは無事やで」と連絡があり、そして家に避難させてくれると言うのです。 ありがたいことに、それは母の実家でした。 叔母の家は、私の実家から少し離れていますが、震災の影響が最小限ですみ、電気もガスも水道も問題なく、食べ物も確保できるとのことでした。

その日から、お世話になることになりました。 その日の夕食はラーメンをだったのですが、一週間ぶりの温かい食事に本当に感謝して、涙がこぼれました。 たかがラーメンですが、本当に嬉しかったのを覚えています。

今思えば、このような温かな叔母ちゃんがいなかったら、私はどうなっていたかわかりません。 叔母は、実家にいて母のお母さんをみてくれているのです。 とても優しいいい叔母ちゃんで大好きです。

お風呂も毎日入る事ができてほっとしました。うれしかったです。 今では困ったときはとんでいきます。私はいつか叔母に恩返しがしたいと思っているほどです。

このような助け合いの経験をし、兄弟でも親戚でも普段から仲良くしておくことが、大切だなと思いました。

 

阪神淡路大震災とは

平成7年1月17日に明石海峡で発生したM7.3の直下型大地震。 最大震度は淡路島の震度7です。

都市部の直下型地震ということもあり、被害は甚大で、ライフラインが断絶しました。 この地震から仮設住宅の重要性や活断層が注目されるようになり、建築法の改正が行われました。

私たちの日常は、こうした尊い犠牲から保たれているのです。