教え子が下敷きに!阪神淡路大震災で希望を失いました、けど・・・
sitaziki

【被災体験談】 阪神淡路大震災で教え子が下敷きに・・・!

20年前の阪神・淡路大震災の時、私は被害の大きかった地域にある、小学校の教師をしていました。

木造のアパートや中小工場が多く、迷路のような路地に花の沢山植わっていた校区はその大半の家がつぶれ、細い道に覆いかぶさった瓦礫は、その道さえもどこにあるのかわからなくしてしまいました。

 たくさんの人が学校の教室に避難してきました。下町独特の親密さで場所を分け合い、食べ物を分け合い、何かと自分から世話を焼いてくれる「近所のおばちゃん」が教室の中のリーダー的存在としてもめごとの間に入って話を進めてくれたり、子ども達の安否を教師以上に正確に確かめてくれたりしてくれていました。

 残念ながら家の下敷きになって、数名の児童も逝ってしまいました。

子どもの葬式に出なければならない、しかもこの間まで自分のクラスでみんなと一緒に楽しく過ごしていた子たちが、もう二度と目を開けなくなってしまった事がなかなか受け行けられずにいました。

 1月に起こった震災は3月になっても復旧のめどがなかなか立たず、授業は何とか再開できたものの、まだたくさんの教室でたくさんの人が生活をしている中での同居生活でした。

 そんな中、ふと歩いていた廊下の窓際に、水の入ったガラスコップに活けられた野の花を見つけました。

また、復興支援で送られたのでしょうか、貝に着物の生地を巻きつけて作ったかわいいお雛様が、手洗い場の台の上に飾られていました。

 やがて玄関前のホールには、様々な伝言の貼られた掲示板や、無料で設置された緊急用の電話の横に、段飾りのお雛様が飾られました。

 自分の家が無くなり、明日の生活さえどうなるかわからないような生活の中でもそうやつてほんの小さな明るさを見つけ、そしていつも通りの生活を続けていこうとする人々の心に、「人間の強さ」を感じました。小さくても心の中にある光は消えないのだと思いました。

 

(阪神淡路大震災・被災者)